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【SLE闘病記】難病全身性エリテマトーデスと診断されるまで4年かかった!はじまりは発熱から

闘病記

全身性エリテマトーデスと診断されるまで4年かかった!難病と共に今を生きる

全身性エリテマトーデスは、

英語で『Systemic Lupus Erythematosus』

といいます。

その頭文字をとり『SLE』(エス・エル・イー)

と略して呼ばれています。

 

私がこの SLE と診断されるまで、

実に4年もの時間がかかりました。

 

SLEの診断には、いくつかの

「診断基準」が定められています。

この基準をすべて満たさなければ、

正式にSLEとは診断されません。

 

というのも、

SLEは症状が非常に多岐にわたり、

他の病気とよく似た症状が現れるため、

正確に見極めることがとても難しい病気なのです。

 

私の場合も、

なかなか診断基準をすべて満たすことができず、

SLEという診断がつくまでに4年かかりました。

 

この記事では、診断に至るまでの 私自身の症状 と

そのときの思い を綴っています。

同じように悩んでいる方や、

ご家族にとって、

少しでも参考になれば幸いです。

 

SLEの診断基準

全身性エリテマトーデス(SLE)の診断には、

明確な基準が定められています。

主に 「分類基準」と「重症度評価」 の2つが重要です。

【1】分類基準(アメリカリウマチ学会 ACR分類基準)

以下の11項目のうち、4項目以上を満たすことが

診断の条件とされています。

<診断基準>
① 顔面紅斑 (頬に蝶形の紅斑が出る)
② 円板状皮疹(盛り上がった円形の皮疹)
③ 光線過敏症(日光で皮膚症状が悪化する)
④ 口腔内潰瘍(口の中にできる痛みのない潰瘍)
⑤ 関節炎  (2か所以上の関節に炎症・痛み)
⑥ 漿膜炎  (胸膜や心膜に炎症が起こる)
⑦ 腎病変  (蛋白尿や腎炎がみられる)
⑧ 神経学的病変(けいれん、精神症状など)
⑨ 血液学的異常(貧血・白血球減少・血小板減少など)
⑩ 免疫学的異常(抗DNA抗体・抗Sm抗体などの異常)
⑪ 抗核抗体陽性

 

【診断の条件】

① 上記の分類基準のうち4項目以上を満たすこと

② SLEDAIスコアが4点以上となること

重症度分類に重みづの点数が表されています。

点数は、SLEDAIスコアとなり

SLEDAIスコア:4点以上を対象となった場合

SLEDIスコアの評価

 

この2つの条件を満たした場合、

全身性エリテマトーデスと診断されます。

 

ごあいさつ

私は大手企業に就職してから、

20年以上が経ちます。

そこでは、エンジニア(設計)の仕事をしていました。

 

毎日が忙しく、残業が続く日々。

家に帰っては、

ただ眠るだけの生活が続いていました。

 

そんな慌ただしい毎日の中で、

私は 妻 と出会い、結婚し、

やがて 2人の子ども に恵まれました。

2児の父として、家庭を持つことができたのです。

 

休日には家族で、遊園地やキャンプ、

海へ出かけたり

連休には東京ディズニーランドに

足を運んだりと

いろいろな場所へ遊びに行きました。

 

忙しい毎日ではありましたが、

家族との時間はかけがえのないものであり、

楽しい日々 を過ごしていました。

 

はじまりは微熱から

はじまりは微熱から

私の症状は、2010年から始まりました。

暑かった夏が過ぎ、

涼しさが心地よい秋のことでした。

 

当時の私は 36歳。

いつもと違い、

「体がなんとなく重いな」と感じ始めました。

最初は 夏バテかな、

そんな軽い気持ちでいたのです。

 

はじまりは、微熱から

 

きっかけは、微熱でした。

体温を測ると 『37.1度』。

「すぐに下がるだろう」と特に気にせず過ごしていました。

ところが、一週間経っても熱は下がる気配がありません。

これが、私の 最初の異変でした。

 

微熱とだるさ(倦怠感)が続き、

不安になった私は、近くの 総合病院を受診しました。

そこで 採血と尿検査を受けました。

 

<検査結果>
異常ありません

 

血液・尿ともに大きな異常は見つからず、

診断は「原因不明」でした。

 

そのため、

症状を抑える 対処療法として

解熱剤が処方されました。

 

薬を飲むと一時的に熱は下がりますが、

薬の効果が切れると、また微熱が出てきます。

この状態が1か月続きました。

 

「さすがにおかしい」

そう思った私は、

近くのもっと大きな病院、

総合病院を受診しました。

同じく採血と尿検査が行われました。

 

<検査結果>
『異常はありません』

 

やはり今回も異常は見つかりません。

前回と同じく、

解熱剤による対処療法が続きました。

 

症状が変わらず、

原因がわからないまま 半年が過ぎました。

冬が終わり、春を迎えようとする頃、

いつの間にか 微熱は引いていました。

 

結局、何が原因だったのか

そのときはわかりませんでした。

 

体調が戻ると、

私の生活もいつものように元に戻っていきました。

今振り返ると、

これが「SLEのはじまり」だったのだと思います。

 

めまい発症

それからしばらくの間は、

大きな症状もなく過ごしていました。

しかし、次に現れた症状は

『めまい』 でした。

 

ある朝、目を覚ますと、

突然 強いめまい に襲われました。

人生で初めての感覚でした。

目を開けた瞬間、

部屋全体がぐるぐると回っているように感じました。

気分が悪く、

吐き気がこみ上げてきます。

平衡感覚が保てず、

起き上がることもできませんでした。

 

しばらくじっとしていると、

少しずつ落ち着き、

なんとか立ち上がることができました。

しかし、歩き出すと

ふらつき や 吐き気 があり、

ついには 嘔吐 してしまいました。

 

すぐに 耳鼻科を受診しました。

 

診断結果は

「メニエール病になりかけている」というものでした。

原因として医師から伝えられたのは、

原因は「ストレス」 でした。

ストレスが引き金となり、

このめまいや体調不良が起きている可能性が高いとのことでした。

 

そのため、

ストレスを軽減し、

生活習慣を見直す必要がある と説明を受けました。

 

ストレスが引き起こしているため

これを改善する必要があります。

 

続くめまいの症状はこちら

 

体重減少

仕事の忙しい日々が続いていました。

毎日遅くまで残業が続き、体は重く、

疲労がどんどん溜まっていきました。

 

家に帰っては 寝るだけの生活。

ストレスも積み重なり、

疲れが溜まると感覚が鈍くなっていくのを感じていました。

 

そのせいか、
食事がおいしいと感じなくなり、

食べる量も自然と減っていきました。

 

ある日、ふと思い立ち 体重計に乗ってみました。

普段の体重:60kg
現在の体重:55kg(5kg減少)

体重は 55kg にまで落ちていました。

5kgも少なくなっていたのです。

 

体重が減ると、

明らかに 体力が落ちているのを実感しました。

力が入らず、疲れやすくなり、

日常生活もつらくなってきました。

 

そして、

この 体重減少からわずか 1週間後

ついに 体調不良が悪化し、

緊急入院することになりました。

 

これが、初めての入院になります。

こちらの記事に詳しく書いています。

 

【詳細記事:はじまり】

1.膠原病のはじまりは微熱から体重減少の原因は前兆だった!
膠原病 全身性エリテマトーデスになり、これからの人生は、始めからゼロのから難病生活の始まり。ゼロの闘病記のブログです。今までの経験談を書き記しています。 40代男性、難病と診断されそれからの人生。ゼロの闘病記、入院、副作用、経験談など

 

 

全身性エリテマトーデス(SLE)と診断されるまで

ここからは、

私が診断されてきた 病名とその経過を、

順を追ってお伝えします。

 

入院と退院を繰り返す中で、

診断される病名は徐々に増えていきました。

いずれも 難病と呼ばれるものでした。

 

【診断された病名】

1から順番に診断された病名です。

 

これらはすべて 自己免疫疾患に関わる病気です。

それぞれの診断に至るまでに起きた 症状や経過を

このあと詳しく書いています。

 

特発性血小板減少性紫斑病(通称:ITP)

特発性血小板減少性紫斑病は、

英語で『Idiopathic Thrombocytopenic Purpura』

といいます。

その頭文字をとり

『ITP』と略して呼ばれます。

 

ITPは、
明らかな原因となる病気や薬剤の影響がないにもかかわらず、

血小板の数が減少し、

出血しやすくなる病気です。

この病気には、発症からの期間によって 2つの型があります。

 

【急性型】

発症から 6ヶ月以内に血小板数が正常に回復するタイプ。
主に 小児に多くみられます。

【慢性型】
発症から 6ヶ月以上 血小板の減少が続くタイプ。
主に 成人に多くみられます。

 

血小板数が10万/μL未満に減少した場合

この病気が疑われます。

<難病情報センターより引用>

 

紫斑(赤い斑点)を発見!

2012年5月のことです。

この年、5月の連休は、すべて仕事でした。

仕事がとても忙しく、

休みも取れずに働き続ける日々が続いていました。

連休が終わり、

ようやく 休暇が取れた時の出来事です。

 

食事の後にいつものように 歯磨きをしていると、

歯ぐきから出血するようになりました。

最初は

「歯周病(歯槽膿漏)かな?」

と、あまり深く考えていませんでした。

 

それから1ヶ月が過ぎ、

6月も終わりに近づいた頃です。

お風呂に入ったとき、

思いがけない異変に気づきました。

 

肩にあざのような赤い斑点(紫斑)

があったのです。

驚いて体のあちこちを調べてみると——

太ももの内側

腕の内側

これらの部位にも 、

赤い斑点(紫斑)がいくつもできていました。

 

はじめての出来事で

「何かが体に異変が起こっている?」

事がわかりました。

 

皮膚科受診

紫斑を見つけたのは、

金曜日の夜のことでした。

翌日の土曜日、

すぐに 皮膚科を受診しました。

 

【皮膚科での診察内容】

先生)皮膚の病気ではないですね。

採血しましょう・・・。

私)お願いします

先生)採血結果は、

1週間後結果が出ます。

1週間後に受診ください。

 

この日は 診察と採血だけで終了し、

帰宅しました。

 

ところが、

翌日 新たな異変が起こります。

朝起きると 体が重く、頭痛がありました。

体温を測ると『 37.0度』の微熱がありました。

この日は無理せず、1日中寝て過ごしました。

 

発熱

月曜日の朝、朝5時に目覚ましが鳴りました。

いつも私は 朝6時に家を出勤するため、

5時に起きます。

 

ところがこの日も、

前日と同じように体が重く、

頭痛がしていました。

体温を測ると 37.2度。

倦怠感もひどく、

とても起き上がれる状態ではありませんでした。

 

「今日は会社を休もう……」

そう判断し、

そのまま再び眠りにつきました。

 

しばらくして——

『トゥルル、トゥルル……』

電話の音で、”ビクッ” と

目が覚めました。

 

「しまった!会社に連絡するのを忘れていた!」

「会社からの電話!」

慌ててすぐに電話を取りました。

 

皮膚科の先生から緊急連絡

飛び起きて電話に出ると、

先日受診した、

皮膚科の先生からの電話でした。

 

時計を見ると 朝8時。

受話器から先生の声が聞こえてきました。

 

「採血結果が出ました!

詳しくお話ししたいので、

絶対に仕事に行かず、すぐに来てください!」

 

先生から 直接電話がかかってくる——

ただ事ではないとすぐに感じました。

 

皮膚科の先生から

直接の電話!

これは

ただ事ではない!

 

熱があり体は重かったものの、

私は 一人で皮膚科に向かうことにしました。

 

皮膚科に到着し、

受付を済ませて待合室で待ちます。

しばらくして名前が呼ばれ、

診察室へ入りました。

 

先生から採血結果の説明がありました。

 

「血小板の数値が 0.4万/μL と非常に危険な状態です。

大きな総合病院への紹介状を書きます。

必ず今すぐ、そのまま向かってください。

総合病院にはすでに連絡をしてあります。

絶対にどこにも寄り道せず、すぐ受診してください。」

と言われました。

 

紹介状を受け取り、

私は すぐに総合病院へ向かいました。

 

緊急入院

総合病院に到着し、

受付で 『紹介状』 を渡しました。

受付の方が言いました。

 

『内容は聞いております。

車いすでご案内します。

血液内科へ向かいます。』

と言われました。

 

車いすは、恥ずかしかったので

自分で歩きますと伝えましたが

『ダメです』と断られ

連れていかれました。

 

血液内科に到着。

すぐに診察を受け、

その後 採血 が行われました。

 

採血結果が出た後、

主治医から説明がありました。

 

【主治医から説明】

先生)入院です。

私)入院ですか?

一度、家に帰って

荷物とってきていいですか?

 

 

先生)だめです、

もう帰れません。

私)はい。

(状況が分かっていない)

 

熱もあり、体も重くフラフラで

意識がもうろうとしていました。

 

「とにかく早くベッドで横になりたい…」

その思いだけが頭にありました。

 

先生から伝えられました。

「追加の検査があります。

検査を終えたら病室へご案内します。」

 

骨髄検査

 

追加で行われた検査は 「骨髄検査」 でした。

人生で初めて受ける検査です。

 

先生からは

「少し痛いですが、動かないでください。」

と言われました。

 

「少し痛い」――

その言葉を 軽く受け止めていました。

しかし、実際の痛みは

想像をはるかに超えて いました。

 

まるで

生命力を根こそぎ吸い取られるような、

奥深くから、

生命力が吸い取られるような感覚の痛み でした。

 

特定されない病名

その日のすべての検査が終わりました。

主治医から、

今日の最終検査結果の説明がありました。

 

「血小板の低下の原因は、まだ特定できていません。」

そして

骨髄検査の結果 は

「白血病ではありません。」

ですよね~

と心で思いました。

 

主治医は続けてこう説明しました。

「今後は 10項目の病名 の中から、

消去法 で原因を探していきます。」

 

今日は安静にしてください。

病室から出ないようにお願いします。

血小板があまりにも少ないため

頭をぶつけたり転倒したりすると命の危険があります。

 

こうして

長く、長く感じた1日 がようやく終わりました。

 

「これから一体どうなってしまうのだろう…」

不安しかありませんでした。

そう思いながら眠りについていきました。

 

ここまでの詳細な出来事はこちらから

 

診断:特発性血小板減少性紫斑病(通称:ITP)

朝、目が覚めました。

「仕事に行かなければ」——

そう思い、ベッドから起き上がります。

 

…でも、ここは 病院のベッドの上 です。

昨日の出来事が一気に思い出されます。

私は入院したのです。

 

普段なら、もう出勤の時間。

窓の外に目を向けると、

遠くに電車が走っているのが見えました。

 

「いつもなら、

あの電車に乗って通勤しているのに…」

しばらくぼんやりと外を眺めていました。

 

今日も朝から採血があります。

看護師さんが

ベッドの上で採血していきました。

 

しばらくすると朝食が運ばれてきました。

初めての病院食 です。

普段は菓子パンだけの朝食ですが、

病院食は 牛乳と軽い和食 で、

むしろ いつもより豪華 に感じました

 

朝食を終えて少し経つと、

先生の巡回が始まりました。

主治医がカーテンをゆっくりと

開けて声をかけてきました。

 

先生)おはようございます。

眠れましたか?

私)はい、眠れました。

 

ここで

治療方針 の説明が始まります。

発熱の原因は、何かの感染症が考えられます血小板が低すぎます

感染症の可能性もありますが

継続してみていきます。

そして、病名が伝えられました。

 

病名ですが

『突発性血小板減少性紫斑病(通称:ITP)』

といいます。

 

指定難病になります。

初めて聴く病名で覚えられません。

 

私)どれくらいで

良くなりますか?

先生)入院期間は、

治療してみないとわかりません。

半年は覚悟してください。

 

私)そんなにですか?

 

何が起きたのか、

頭が真っ白になりました。

何も考えられません。

 

「原因は何?

元に戻らない?

治らない?」

 

何度も何度も

同じ言葉 が頭の中をぐるぐる回ります。

混乱と不安 でいっぱいでした。

 

ステロイド治療

ステロイド治療というのが始まります。

治療は 最大量 での投与から始まります。

この時は、意味が良く分かっていません。

 

【最大量での投与】

私は、体重55kg、身長190cmです。

この体格に合わせて、

ステロイドの投与量は55mg に決まりました。

 

まずは、

極端に少ない血小板(0.4万/μL) を

一刻も早く増やす必要 があります。

通常、血小板数は、

13.8〜30.9万/μL とのことです。

0.4万/μL という数字は

非常に危険な状態 でした。

 

もし 頭をぶつけてしまったら——

頭の中で出血が止まらず、命に関わる。

そのくらいのリスクがあるため

「病室からの外出は禁止」

と厳しく指示されました。

 

当時の私は

医療の知識がほとんどありません でした。

自分の状態を正しく理解できず、

ただ漠然と

「血小板が少ないから、出血すると危ない」

…それくらいしか

わかっていなかったのです。

 

ITP治療の詳しい内容はこちら

 

入院治療

ステロイド治療が始まりました。

治療開始から 3日目。

しかし 血小板数はほとんど増えず、

「効果がないかもしれない」

と言われました。

 

主治医からは

「明日の結果を見て、今後の治療方針を決めましょう」

と告げられました。

 

そして 4日目——

ついに、血小板の上昇 が確認されました。

【採血結果】
血小板:2.5 万/μl

ようやく 回復の兆し が見えてきました。

その後、日が経つごとに

血小板数は 徐々に上昇 していきました。

 

1週間後

血小板:10万/μL

とはいえ、血小板数は

上がったり下がったり を繰り返します。

7.0万/μL まで下がる日もあれば

10.0万/μL まで上がる日もありました。

 

血小板

7.0万/μL まで下がる日もあれば

10.0万/μL まで上がる日もありました。

 

血小板が ある程度安定 してきたため

ステロイドの減量 が始まります。

2週間ごとに5mgずつ減量します。

減量のたびに、

血小板は 6万/μL台 まで下がることもありました。

 

私はこの時、

「ステロイドの減量は本当に難しい」

と実感しました。

それでも ステロイドを減らせば退院が近づく・・・

その思いだけが 心の支え だったのです。

 

退院

ステロイドの減量を

何度も何度も繰り返し・・・。

ついに ステロイド量30mg まで

減らすことができました。

ステロイド量30mgの減量まで

4ケ月かかりました。

 

ステロイド30mg で

血小板数も体調も安定したため

退院 が決まりました。

 

退院前、

主治医から説明がありました。

「退院後も継続して通院治療が必要です。

これからは、

この病気とうまく付き合っていきましょう。

もし体調に変化があれば、すぐに受診してください」

伝えられました。

 

私は 感謝の気持ち でいっぱいでした。

これまで 病気とは無縁 の生活でした。

入院中、主治医や看護師さんは

毎日 本当に一生懸命 に

治療や看護にあたってくださいました。

 

一人の患者のために

ここまで尽くしてくださったこと。

胸が熱くなり、

涙があふれるほど感謝の気持ちでいっぱいです。

また、入院生活を支えてくれた

家族の存在 も忘れてはいけません。

支えてくれた家族に、

心から ありがとう を伝えたいです。

 

「難病」と診断されたとき

未来が見えず、不安でいっぱいでした。

けれど今は、

「なんとかやっていけそうだ」

そんな 前向きな気持ち が

少しずつ芽生えてきています。

 

【詳細記事:突発性血小板紫斑病(ITP) 】

2.診断 特発性血小板減少性紫斑病(ITP)
日常生活から難病患者へ 入院期間、40代男性SLE闘病記ブログ 特発性血小板減少性紫斑病 ITPの治療 ITP血小板診断、抗体

 

仕事復帰に向けて

退院後は 通院治療 となりました。

しかし、体力の低下は想像以上で

ほんの少し歩くだけでも

疲れてしまう状態でした。

 

私は毎日少しずつ

体力回復に向けて頑張りました。

時間が経つにつれ、

徐々に 気力 も戻ってきました。

 

「早く、仕事に戻らないと・・・」

そんな思いが日に日に強くなっていきました。

 

仕事復帰について、

職場 と 主治医 に相談しました。

主治医からは

「本人の意思に任せます」

と了承を得ましたが、

職場からは、

すぐに復帰の許可は下りませんでした。

「復帰してすぐ体調を崩し、

再び入院してしまうような事態では

会社としても責任が取れない」

という理由でした。

 

4ケ月間の入院から仕事復帰への道のり

4か月間の入院 を経て

仕事復帰にこぎつけるまでには、

さらに 2か月 という時間が必要でした。

 

難病を抱えての仕事復帰は本当に大変です。

「無理は絶対に禁物」

これを強く実感しました。

 

 

 

生活していくには働かないといけません。

治療費、生活費も必要です。

これが、厳しいけれど 現実 なのです。

 

【詳細記事:仕事復帰 】

【仕事復帰 第1章】SLE発症から仕事復帰、4ケ月間の入院から仕事復帰への道のり
SLE 4ケ月間の入院、仕事復帰へ向けて、退院後2ケ月かけて仕事復帰までを紹介いたします。 すぐに復帰するのは無理な理由。 SLE 40代 ゼロの闘病記 生活ブログ 何をすればよいか、何から始めていけばよいかわからない方へ、私が仕事復帰するまで、どのように過ごし、体力づくり、精神の安定のさせかた。

 

【仕事復帰 第2章】SLEとともに歩む 〜これからの私に向き合って〜
SLE発症から仕事復帰の闘病記。仕事復帰は、元の部署へ復帰後どうなったか、困った事。 現場主体の仕事、力が必要な仕事の場合、転職を考える。 仕事復帰後、これからの自分と向き合う行動をする。過去の自分を捨てる。

 

仕事復帰後

長い入院と治療を経て、

ようやく 職場復帰の日 を迎えました。

久しぶりの通勤電車

見慣れた景色なのに

すべてが少し違って見えました。

「またここに戻ってこられた」

そんな感謝の気持ちで胸がいっぱいでした。

 

職場に到着すると、

同僚たちが温かく迎えてくれました。

「おかえり!」
「待ってたよ!」

その言葉ひとつひとつが

心にしみました。

とはいえ、

最初から 元通りの働き方 はできませんでした。

 

主治医や職場と相談し

時短勤務 や 業務の制限 を設けながら

少しずつ、

リハビリのように仕事を再開していきました。

 

体調と相談しながら

「できること、いままで通り」を

少しづつ増やしていきました。

 

焦らず、無理せず

“病気と共に働く” という新しいスタイルを

受け入れていくことにしました。

 

支えてくれた人たちへ

入院中も、退院後も

私は 本当に多くの人に支えられてきました。

 

主治医や看護師さんの 献身的な治療と看護

職場の同僚や上司の 理解と配慮

そして何より

家族の温かい支え があったからこそ

ここまで来ることができました。

 

難病と診断されたとき

「もう元の生活には戻れないかもしれない」

そんな不安でいっぱいでした。

 

でも今は

「なんとかなる」

そう思えるようになりました。

病気は確かに怖い。

でも、支えてくれる人たちがいれば

前に進むことはできる。

そんなことを

心から実感しています。

 

続く・・・。

 

抗リン脂質抗体症候群(通称:APS)

抗リン脂質抗体症候群は、

英語で『antiphospholipid syndrome』といいます。

その頭文字をとり『APS』と略して呼ばれます。

 

抗リン脂質抗体症候群は、

血中に抗リン脂質抗体とよばれる

自己抗体が存在し、さまざまな部位の

動脈血栓症や静脈血栓症、習慣流産などの

妊娠合併症をきたす疾患です。

 

【詳細記事:抗リン脂質抗体症候群(APS) 】

足の腫れの原因は抗リン脂質抗体症候群による血栓
SLEの方で、足の甲の部分が赤くなり腫れと痛みの症状が現れます。その原因は、全身性エリテマトーデスに合併する抗リン脂質抗体症候群による血栓症でした。 その時の症状・体験談をまとめています。

 

抗リン脂質抗体症候群の診断

次の検査項目のうち

1項目以上が存在する場合

(1)ループスアンチコアグラントを
12週間以上の間隔をおいて2回以上検出
(2)中等度以上の力価のIgG型またはIgM型の
aCL(抗カルジオリピン抗体)を
12週間以上の間隔をおいて2回以上検出
(3)中等度以上の力価のIgG型またはIgM型の
抗β2-GPI(グリコプロテイン)抗体を
12週間以上の間隔をおいて2回以上検出

<厚労省ホームページより引用>

 

私の場合、

通院中、毎回採血をしています。

その時に

(1)の項目が該当しました。

そのため、『抗リン脂質抗体症候群』と診断されました。

 

診断された時は、採血結果から診断されましたが

症状はなかったため、経過観察となりました。

 

数年後、足に血栓症を起こし

足の痛みとともに腫れて、

歩けなくなる程の症状が現れました。

 

【APSの詳細記事はこちら】

足の腫れの原因は抗リン脂質抗体症候群による血栓

 

自己免疫性溶血性貧血(通称:AIHA)

自己免疫性溶血性貧血は、

英語で『autoimmune hemolytic anemia』といいます。

その頭文字をとり『AIHA』と略して呼ばれます。

 

自身の赤血球に結合する 自己抗体 (蛋白)ができて、

赤血球が異常に早く破壊されておこる貧血です。

いろいろな病型があり、原因もさまざまです。

体温付近(37度)で抗体の結合が強いものを温式、

体温以下(特に4度)で結合が強いものを冷式と呼びます。

赤血球に自己抗体が結合し、

補体(蛋白)と共同して血管内で赤血球を破壊するものと、

自己抗体や補体を介して主に脾臓で破壊されるものがあります。

<難病情報センターより引用>

 

兆候

仕事復帰して2年経過した頃、

通院治療で順調に回復していきました。

ステロイドは、『0mg』となり、

寛解(かんかい)の状態になりました。

 

完治したのでは?

という思いにもなりました。

 

その頃、仕事が忙しくなり、

体調も良いこともあり、

以前のように仕事ができる錯覚に

おちいっていました。

 

しばらくすると、

異変が起き始めました。

通勤電車の中で呼吸が苦しくなったり

階段を登ると息切れをしたり

 

と言った症状がではじめました。

体力が落ちたかな?

疲れが溜まったきた?

程度にしか思いませんでした。

 

この状態が、2週間程続いていました。

土曜日、朝の出来事です。

朝目を覚まし起きると、

体が重く頭が痛いです。

体温を測ると『37.5度』ありました。

『発熱』です。

悪夢がよぎりました。

これは、やばいかもです。

 

再燃

次の日曜日、

熱があるためか、体が重く

起き上がれなくなっていました。

 

月曜日になっても、熱が下がりません。

すぐに通院している病院へ受診しました。

 

待合室で待っていると

順番が呼ばれました。

立ち上がろうとしましたが、

立ち上がると吐き気が酷く、

椅子に横になり、

うずくまってしまいました。

吐き気がひどくなり、

一人では立ち上がることが出来なくなりました。

 

看護師さん気づいて、介助していただき

車椅子で受診しました。

 

主治医)こんなになるまで、ほっといて!

なぜ、もっと早く受診しなかったのですか?

家族の方へお話がありますので、

入ってもらってください

私)一人で来ました

先生)・・・・・。

急いで、

家族の方に来てもらってください

入院です!

 

また、やってしまいました。

 

緊急入院

 

主治医から説明がありました。

採血結果の説明

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb)6.8g/dl
・血小板18万/μl

 

【ヘモグロビンが低いです】
通常:12.6~16.6 g/dl です。
女性の場合、10.0ぐらいまで下がる事はあります。
男性の場合、10.0以下になることはないです。

 

ヘモグロビンが低いと酸素濃度が低下します。

パルスオキシメータで、酸素濃度を計測します。

 

動脈血酸素飽和度(SpO2)60%

 

酸素濃度が異常です。

 

【酸素濃度】
一般的に96~99%が標準値とされ、
90%以下の場合は十分な酸素を全身の臓器に
送れなくなった状態(呼吸不全)に
なっている可能性があるため、
適切な対応が必要です。
~日本呼吸器学会のホームページより抜粋~

 

急遽、酸素マスクをはめる

状態になりました。

 

酸素マスクをはめて、ゆっくりと深呼吸・・・。

60%・・70%・・80%・・90%・・

動脈血酸素飽和度(SpO2)98%、

まで、ゆっくり回復しました。

 

診断:自己免疫性溶血性編貧血(通称:AIHA)

主治医医からの説明

診断結果

診断:自己免疫性溶血性貧血(通称:AIHA)

という診断です。

 

すぐに、ステロイド治療の開始です。

自己免疫性溶血性貧血はの治療は

ステロイド療法です。

ステロイドの投与65mgを一ヶ月続け

その後、状態が安定したら

ゆっくりと減量していきます。

 

入院治療

ステロイド投与を始めました。

 

入院2日目の採血結果

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb)5.4g/dl
・血小板18万/μl

 

ヘモグロビン(Hb)が、

下がり続けていて悪化しています。

 

【症状】
・呼吸が苦しい
・トイレで、尿をすると便器はまっか赤になる

とても立ち上がれる状態ではありません

今までにない、つらい状態です。

 

入院3日目の採血結果

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb)5.3g/dl
・血小板24万/μl

 

【症状】
・酸素吸引しているため苦しさはなし
・吐き気が酷い
・何も食べれない状態

日々、状態が悪化していることが実感できます。

意識ももうろうとしてきています。

 

入院4日目の採血結果

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb)5.3g/dl
・血小板20万/μl

 

ヘモグロビン(Hb)変わらず・・・。

回復の兆しがありません。

ステロイドの効果がありません。

 

そろそろだめかもと思い始めます。

吐き気が酷く、意識がもうろうとしています。

 

覚悟決める

次の日も改善が見られないときは

輸血します。

輸血すると、副反応が起こります。

通常の生活に戻れないかもしれません。

 

今は命の危険があり、

緊急な状態であるため、

輸血しかありません。

 

【私のは思い】
覚悟を決めないといけない
最悪の事を考えておこう

最後に残す言葉を書き留めておこう。

 

回復の兆し

朝から足音が聞こえてきました。

朝から主治医がみえました。

 

入院5日目の採血結果

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb) 7g/dl
・血小板18万/μl

 

ヘモグロビン(Hb) 5.3g/dl → 7g/dl

 

先生)採血結果を見ながら

少し回復の兆しが見えてきました、

輸血なしでこのまま、

なんとか、もちこたえましょう・・・。

 

私)

助かりそうな感じです。

少し元気が出てきた感じがしてきました。

少しでも体力を戻そうと思いました。

 

少しでも何か口に入れようと思い

ゼリーを食べて頑張ろうと思います。

 

入院6日目の採血結果

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb) 8g/dl
・血小板18万/μl

 

徐々に回復に向かい出しました。

なんとか山場を乗り越えたようです。

 

まだ、やるべきことが残っているのでしょう。

これからの事をもっと

真剣に考えないと行けません。

そう心に強く思いました。

 

その後、以前と同じ様に

ステロイドの減量がはじまり、

4ヶ月の入院生活を過ごし

退院することができました。

 

【AIHAの詳細記事はこちら】

再燃!自己免疫性溶血性貧血(通称 AIHA)で覚悟を決める

 

3.SLEと併発する、自己免疫性溶血性貧血(通称 AIHA)
SLEと併発して自己免疫性溶血性貧血(通称 AIHA)になりました。再燃して緊急入院、呼吸困難、ヘモグロビン低下による低酸素となった。 輸血するかの判断、元の生活に戻れない可能性、死の覚悟した瞬間。回復していくまでの記録。

 

全身性エリテマトーデス(通称:SLE)

自己免疫性溶血性貧血を発症して、

根本の原因となる病名が発覚しました。

 

今回の自己免疫性溶血性貧血は、

難病「全身性エリテマトーデス(SLE)」

とから併発しました。

 

『全身性エリテマトーデス』と診断されました。

 

突発性血小板紫斑病と診断されてから、

4年が経過しました。

根本の原因となる病気は

『全身性エリテマトーデス』でした。

 

原因を特定するまで、

4年という長い月日がかかりました。

これからの治療方針が変わります。

ステロイドと免疫抑制剤を使いながらの治療。

 

これからは病気と一生付き合いながら

仕事をしながら治療になり

不安が残ります。

 

【詳細記事:全身性エリテマトーデス(SLE) 】

4.全身性エリテマトーデス(SLE)と向き合う日
自己免疫性溶血性貧血(AIHA)になり入院、再燃で全身性エリテマトーデス(SLE)と診断された。 再燃まで何が起こったか、前兆、再燃の40代男性 SLE,入院,ブログ闘病記

 

難病と診断された時の思い

はじめての入院から、12年が経過しました。

ここからは、その思いを書いています。

 

初めての入院から始まり、

医師から難病と診断され、

不安の毎日でした。

自分との闘いの日々、

思ったことを書いています。

 

難病と診断され思った事

難病と診断された時に思った事
1.何が原因だったのか
2.これからどうなっていくのか
3.治らない病気とどのように付き合っていけば良いのか
4.もう元の生活に戻れないのか
5.仕事復帰はできないのか

 

始めはこの事ばかり考えて

毎日が不安の日々を送っていました。

 

なぜ私が?

何が原因?

先が見えない生活

 

自分だけではない

入院していると、

周りには多くの方が

入院治療しています。

いろいろな病気があり

その病気と闘っている人はたくさんいます。

 

私だけが不幸ではありません。

 

がん治療、白血病の治療をされている方は

前向きで闘病しています。

 

その方達を見ていると、

今の自分はなんて小さい人間と思います。

 

私は、前向きで闘病している方を見ていると

自分に勇気をもらっていました。

前向きになれる気がしました。

 

健康の時には、決して分からなかった事、

難病となり、今までの事を思い返します。

今まで考えたことがなかった

人への思いやりの気持ちの大切さ。

 

感謝すること

これからの生き方、

命を救っていただいた主治医や看護師さん、

そして家族への大切さが実感できました。

 

難病になったから感じた事、

今まで生きてきた中で見てきたことは、

自分中心であったこと。

本当の意味で見えてなかったことの実感。

その思いを、感じた事を思いのまま書いています。

 

訪問に来て頂いた方へ

何かのきっかけになればと思います。

 

 

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