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3.SLEと併発する、自己免疫性溶血性貧血(通称 AIHA)

闘病記

診断(自己免疫性溶血性貧血:通称 AIHA)

はじめに

これまでの経過です。

「特発性血小板減少性紫斑病(ITP)」を発症し、

約4ヶ月の入院生活を経て退院しました。

その後、

仕事に復帰できるようになるまでに、

さらに2ヶ月。

ようやく日常生活へと戻ることができました。

 

仕事復帰から2年が経ちました。

それからも毎月の通院は続き、

採血結果を見ながら、

ステロイド(プレドニゾロン)の量を

少しずつ減らしていく治療を続けていました。

 

プレドニゾロンは10mgから始まり、

1~2mgずつ慎重に減らしていきました。

そしてついに、念願だった「0mg」に。

「寛解」と呼ばれる状態にまでたどり着いたのです。

 

※寛解とは】
病気の症状が一時的または継続的に軽減し、治療により症状が見られなくなっている状態。

 

『寛解』になったとき、

心はとても晴れやかでした。

「やっと終わった。これで病気とはさようならだ」と、

そう信じていました。

 

ちょうどその頃、

仕事も忙しくなっていて、

体調もよく、

以前と同じように・・・

に残業や休日出勤

こなすようになっていました。

 

前兆

以前と同じように、

私はまた、仕事に追われる日々を

送るようになっていました。

 

気づけば残業、

休日出勤は当たり前。

「元気になったんだから、

前みたいに頑張らなきゃ」と思い、

無理をしていました。

周りの雰囲気にのまれていたと思います。

 

でも、ある時から――

少しずつ、けれど確実に、

何かが変わっていきました。

 

朝起きても疲れが取れず、

昼を過ぎる頃には、

体がどっと重くなる。

以前は平気だった階段も、

上りきる頃には息が切れて、

胸がドクドクと波打つのを感じました。

 

「なんだろう、体力が落ちたのかな」

「歳のせいかな、運動不足かも」

そんなふうに、

私は自分をごまかしていました。

 

正直なところ、

『寛解=完治』だと、

私は思い込んでいたんです。

 

「もう治ったんだから、大丈夫」

「もう二度と、あんな辛い思いはしない」

そんなふうに、

自分に言い聞かせていたのだと思います。

 

でも、体は正直でした。

無理をしていたことに、

気づいていたのかもしれません。

 

そして、

それはある土曜日の朝に訪れました。

「今日は少しゆっくりしよう」

と思っていた休日。

目が覚めた瞬間、

体が鉛のように重く、

まるで布団に体が沈み込んで

抜け出せないような感覚。

熱を測ると、37.5度。

「これは……まさか」と、

胸の奥で小さな不安が、

じわじわと広がっていきました。

 

立ち上がることもできず、

食事もとれず、

頭はぼんやりしていて、

目を閉じると気が遠くなるような感覚。

結局、その日は一日中、

何もできずに布団の中で過ごしました。

 

「あのときのような苦しみが、

また始まるのではないか」

そんな恐怖が、静かに、

でも確かに胸の奥で芽生えはじめていました。

 

 

 

受診

日曜日になっても熱は下がらず、

ベッドから起き上がれませんでした。

月曜日も熱は続いたまま。

 

「これはもうダメだ」と、

担当医の病院へ向かいました。

体を引きずるようにして、

ようやく病院にたどり着きました。

 

予約がなかったため、

しばらく待合室で順番を待ちました。

名前が呼ばれて

立ち上がろうとしたその瞬間

激しい吐き気で

立ち上がれなくなってしまいました。

一人では、

立ち上がることが出来なくなっていました。

うずくまっていた私に、

看護師さんが気づいて声をかけてくれました。

 

看護師)大丈夫ですか?

私)吐き気が酷くて

 

看護師)車椅子で移動しますね

私)すみません。よろしくお願いします

 

車椅子に乗せてもらい、診察室へ。

主治医の先生が私を見るなり、

驚いた口調で言いました。

 

主治医)

こんなになるまで、ほっといて!

どうして

もっと早く来なかったんですか?

はい・・・

 

すぐに採血します。

 

「再燃」──悪夢が戻ってきた日

病院での採血を終え、

私は待合室の椅子に座り、

ただ静かに名前が呼ばれるのを待っていました。

──あの日と、同じように。

やがて診察室に呼ばれ、

医師の前に座ると、

淡々と読み上げられる検査結果の数字に、

私はすぐには現実を理解できませんでした。

 

【採血結果】

 ・ヘモグロビン(Hb):7.3 g/dl

 ・血小板:10万 / μl

 

静かな口調で、先生が言いました。

 

先生)家族の方へお話がありますので、

入ってもらってください

私)一人で来ました

先生)

先生は一瞬、

言葉を失ったように黙り込みまた。

『急いで、

家族の方に来てもらってください』

 

そして静かに、

しかしはっきりと告げました。

「すぐに、ご家族に来てもらってください。

……入院です。帰れませんよ」

 

胸が締めつけられるような感覚。

頭の中が真っ白になって、

先生の声が遠くで響いているように感じました。

それはまさしく──

「再燃」でした。

 

緊急入院、そして再び骨髄検査へ

すぐに緊急の検査が始まりました。

まずは、骨髄検査。

これで2回目。

あの、息を飲むような痛みと、

体の奥から生気を吸い取られていくような感覚。

私は、またこの場所に戻ってきてしまったのだと、

身体ではなく、心が震えました。

 

【骨髄検査の結果】

 ・異常なし

 

採血結果

それでも、

採血の結果は深刻でした。

 

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb)6.8g/dl
・血小板18万/μl

 

【ヘモグロビンが異常に低い】
通常:12.6~16.6 g/dl です。
女性の場合、10.0を下回ることはまれです。
男性の場合、10.0以下になることはないそうです。

 

ヘモグロビンが低いと酸素濃度が低下します。

パルスオキシメータで、酸素濃度を計測します。

動脈血酸素飽和度(SpO2)60%

を下回っています。

呼吸が、息が苦しいです。

 

【酸素濃度】
一般的に96~99%が標準値とされ、
90%以下の場合は十分な酸素を全身の臓器に
送れなくなった状態(呼吸不全)に
なっている可能性があるため、
適切な対応が必要です。
~日本呼吸器学会のホームページより抜粋~

 

私はその場で、

すぐに酸素マスクを装着されました。

鼻と口を覆われる不安。

でも、それ以上に怖かったのは、

自分の体が、

酸素さえも取り込めない状態になっていたという事実でした。

 

ゆっくり、深く、息を吸う。

少しずつ落ち着いていく気持ち。

そして、ようやくSpO2の数値が──

98%まで回復したことを聞いたとき、

私は思わず目を閉じて、

心の中でつぶやきました。

「ゆっくり、寝て休みたい……」

 

再びこの場所へ――懐かしい笑顔に救われて

入院手続きを終え、

病室へと案内されました。

ベッドに横になり、

ふぅっとひと息ついたそのとき――

看護師さんが静かに声をかけてくれました。

以前もこちらに入院されていましたよね?

私、そのとき担当させていただいたんですけど

……覚えていますか?

マスク越しでしたが、

私はすぐにその方の目元を見て、

思い出しました。

前回の入院、あのときお世話になった看護師さん。

忘れるわけがありません。

「もちろん覚えています。


また、よろしくお願いします

戻ってきてしまいました。」

そうお伝えすると、

看護師さんはほっとしたように微笑んでくれました。

病院という場所は、

決して“帰りたい場所”ではないけれど、

知っている顔がいてくれるというだけで、

こんなにも安心できるものなんだ――

そう、あらためて感じました。

 

「寛解」という言葉

この体験を通して、

私は「寛解」という言葉の意味を、

もう一度深く考えるようになりました。

「治った」と思っていた自分に、

どれほどの油断があったのか。

そして、病気と向き合うということが、

どれほど深くて終わりのないものかを。

 

命の境界線、『自己免疫性溶血性編貧血』という診断

それは、再燃とともに突きつけられた現実。

医師から伝えられた診断は、

自己免疫性溶血性貧血(通称:AIHA)。

自分の免疫が、

自分の赤血球を攻撃して破壊してしまう、

という難病です。

 

すぐにステロイド治療が始まりました。

ステロイド投与 55mg。

副作用が強いとされる量です。

私は、静かに戦う準備を始めました。

しかし──体の状態は、

待ってはくれませんでした。

 

入院2日目:急速な悪化

入院2日目の採血結果

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb)5.4g/dl
・血小板18万/μl

 

ヘモグロビンの値は、

さらに下がっていました。

体内の酸素を運ぶ力が、

どんどん失われていくため、

トイレにいくと息が苦しくなります。

 

ヘモグロビン(Hb)が、

下がり続けていて悪化しています。

 

【症状】
・呼吸が苦しい
・尿が真っ赤に染まり、血のように見える

まるで、体の中で何かが

壊れていく音が聞こえるかのようです。

 

家族への説明

この日、説明のため

主治医から家族が呼ばれました。

しかし私は、激しい吐き気と息苦しさに襲われ、

ベッドから一歩も動けませんでした。

 

説明はミーティングルームで行われましたが、

激しい吐き気と息苦しさで移動できず

私は何も聞くことができず、

ただ、ベッドの中で眠るしかありませんでした。

 

【あとから家族に伝えられた内容】

「かなり危険な状態です。

いつ、何があってもおかしくありません。」

覚悟はしおいてください

との事が伝えられたそうです。

 

入院3日目:症状は進行するばかり

入院3日目の採血結果

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb)5.3g/dl
・血小板24万/μl

 

【症状】
・酸素吸引のおかげで呼吸の苦しさは軽減
・吐き気が酷い
・何も食べれない状態

 

体の中から、

生きる力が少しずつ失われていく

そんな感覚だけがありました。

 

入院4日目:回復の兆しは見えない

入院4日目の採血結果

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb)5.3g/dl
・血小板20万/μl

 

数字に変化はありませんでした。

変化がないことが深刻。

ヘモグロビン(Hb)変わらず・・・。

回復の兆しなし。

 

カーテン越しに聞こえた「覚悟」の言葉

その日の午後、

私のベッドのすぐ隣、

カーテン1枚を挟んだ場所で、

先生が家族にこう言っているのが

聞こえてきました。

 

「明日も改善が見られなければ、輸血を行います」

輸血には副反応のリスクがあります。

抗体が輸血に反応して・・・。

通常の生活に戻れないかもしれません。

 

今は命の危険があり、

緊急な状態であるため、

輸血しかありません。

 

その言葉は、

鋭い刃のように私の心を貫きました。

 

私は思いました。

 

覚悟を決めないといけないのか……。

難病を甘く見ていた……。

最悪のことも考えておこう……。

まだちょっと、年齢的には早いな……。

 

その夜、私は眠ることができませんでした。

何かが自分を見つめているような感覚とともに、

不安と孤独が胸を締めつけていました。

 

カーテン越しにきこえた内容です。

 

三途の川の夢

夢を見ました、

三途の川の夢でした。

昔話でテレビでみたような感じ。

 

私は川辺を歩いていました。

でも、どれだけ歩いても川にたどり着きません。

意識ははっきりしているのに、

時間だけが、ゆっくりと、

どこか別の世界に流れている──。

そして、
誰かに言われたような気がしました。

「まだ、ここに来れないよ」

いわれたような気がしました。

 

そして、目が覚めました。

汗をかいていて、呼吸が浅く、体が震えていました。

でも、心のどこかで──ほんのわずかですが、

「生きてる」と力が戻ってきたような気がしました。

命の境界線に、私は立っていた。

そしてそのギリギリの場所で、

私はまだ、踏みとどまっていた。

 

回復の兆し

入院5日目

ほんの小さな光が見えた日

入院5日目の採血結果

入院5日目の採血結果

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb) 7.0 g/dl
・血小板18万/μl

 

ヘモグロビン(Hb) 5.3g/dl → 7g/dl

 

前日の5.3 g/dlから、

ヘモグロビンが7.0 g/dlまで回復していました。

先生は、穏やかな笑顔でこう言いました。

「少し回復の兆しが見えてきました。

輸血はせず、このまま持ちこたえましょう。」

 

私は思わず、

「よかったぁ……(´∀`)」

と、心から安堵の声を漏らしました。

この一言が、どれほど救いだったことか。

涙が出そうになりました。

 

「よし、少しでも力をつけよう」と思い、

久しぶりにゼリーを一口。

それだけで、

少し心も体も前を向ける気がしました。

 

入院6日目の採血結果

入院6日目の採血結果

【採血結果】
・ヘモグロビン(Hb) 8g/dl・血小板18万/μl

数字がまた一歩、前進していました。

まだ食事も満足には摂れませんが、

確かに前に進んでいます。

 

先生は言いました。

主治医)なんとか持ちこたえました。

私)ありがとうございます。

と答えていました。

 

そして同時に、

支えてくれたすべての人への感謝があふれてきました。

家族、看護師さん、主治医の先生、

“ありがとう”という言葉では

足りないほどの想いでした。

 

少しずつ戻ってきた

入院7日目の採血結果

入院7日目の採血です。

 

【採血結果】
 ・ヘモグロビン(Hb) 10.0g/dl
 ・血小板 18万/μl

 

ついに二桁に。

体の中に、酸素がちゃんと

運ばれている実感がありました。

 

食事も、最初はゼリーから。

やがてお粥、

そして少しずつ量を増やせるようになり、

2割 → 5割 → そして完食へ。

食べるという行為が、

これほどありがたいものだったとは。

体力が戻っているのを、実感できました。

 

採血結果の改善に伴って、

ステロイドの量も、

徐々に減らしていくことになりました。

それもまた、回復への確かな一歩でした。

 

 

<次回予告:もう一つの診断──SLE(全身性エリテマトーデス)>

回復は、まだ終わりではありませんでした。

新たに伝えられた、

もう一つの病:SLE(全身性エリテマトーデス)。

AIHAの背後に潜んでいた、根本の病。

次回、私が再び向き合うことになった現実を綴ります。

 

【次の記事】 診断:全身性エリテマトーデス(SLE)へ

4.診断 全身性エリテマトーデス(SLE)

 

【闘病記メイン記事】

【SLE闘病記】難病全身性エリテマトーデスと診断されるまで4年かかった!はじまりは発熱から
膠原病の全身性エリテマトーデスと診断されるまで4年かかり、難病と共に今を生きる考え方を闘病記に書いています。 はじめて難病と診断された時の思い、これからの生き方をあらためて考させられます。 この闘病記を読んで、人生を見つめ直すきっかけになれば幸いです。

 

 

 

闘病記
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